今年は戦後70年、もはや戦争体験者は少数となりましたが、あの頃を思い返しますと万感胸迫るものがあります。現在、私たちの生活は氾濫する物の流出の中にあります。
IT化によるスピード化、空気・温度・湿度等のコントロールの進歩等々。一方で地球全体の異変等、知ることの喜びよりも知ることの不安が大きくなっているのですが、若い皆様はいかがでしょうか。これは、私自身が最高年齢人間化したせいかもしれません。
大正3年(今年丁度100年になります。)、私の父は金沢医専を卒業し医師となりました。
高知市に帰り、高知病院(野並魯吉院長)に勤務し外科医として学びました。
武市半平太の富夫人の主治医をしています。「腹癌に重さ加わる藁布団(ワラブトン)」という句があります。
大正9年より郷里の安芸郡西分村に帰り藤戸医院を開設し、昭和22年逝去の日まで村で医療の仕事を続けています。(昭和15年 ~ 16年には、日赤病院の依頼で病院船勤務)。
父は6才の時父親と死別しており、早くから俳句を作ったり医学を志したのもそんな生育歴が影響していると思われます。「億羅(おくら)」は雅号で「おくらさん」とよばれておりましたのでその名を法人名としており、この度諸条件が整ったので芸西病院も法人名を「おくら会」と改め統一しました。
藤戸病院は、小規模で小回りの効く外来診療と短期医院の街中病院としての特性をもって患者さんたちを受容しています。
芸西病院は、海山平野と 雄大な自然の見渡せる高台にあり医療環境として大変恵まれ、芸西村は勿論広域にわたり受容力を持って活動しています。両病院がその特性を発揮し交流を深め、発展することを期待しています。
私が高知市でクリニックを開設して55年を経過しましたが、診察室で出逢う方々の悩みは、若い方から高齢者に至るまで1人1人の歴史をもって人としての悩み・不調であり、基本的にかわりのないないもので表現型としての変化は多少見られると感じている昨今です。
半世紀を超えて高知県で精神科・心療内科の仕事を続けることが出来ましたことを皆様に深く感謝申し上げますと共に、診療室で出逢った方々の心にもっと光を願っています。
藤戸 せつ